「森のオクリモノ」
父親譲りのわたしは、あまり上手に笑うことができなかった。
母の大切にしていたブローチを譲り受けた時も、その嬉しさを他所に、
ぎこちない「ありがとう」を呟くように発するのが精一杯だった。
母はわたしが7歳になる年、ようやく終戦を迎えようとしていた最中に、
世界中で流行した疫病のワクチンの副作用のため、記憶を無くしてしまっていた。
よく笑うショートカットの似合う母はわたしの憧れでもあったが、
もう何年も、あの頃の笑顔を見せていない。
「これ・・。」
検査入院の多い母を除くと、我が家には口数の少ない父とわたし、
そして最近祖母が他界したことで、一緒に生活を始めることになった、祖父の3人がいる。
ピアノを弾いていた私に、何かを思い出したのか、祖父が1冊のノートを差し出してきた。
それは古い時代の記憶の詰まったもので、初めの2〜3ページをめくったあたりで、
私の胸が音をたてて驚いた。
「これは誰?お母さん?」珍しく声を張った。
「そうだよ。昔からよく笑う子だった。。」
とうとうタバコをやめられずに今に至る祖父は、しゃがれた声で煙混じりに震えるようにそう答えた。
自分にそっくりな少女が眩しい笑顔でおもちゃのピアノを弾いている。
そして目を凝らしてみると、モノクロでもこれだとわかる存在感で、
胸のあたりで愛想を振りまいているブローチが見える。
いざという時には必ず付けていたそうだ。
しばらく自分にそっくりな少女の笑顔に見惚れていると、
祖父が昔経営していた国営工場の前で撮影されたらしき集合写真が目に入った。
「これは!?」
ゆっくりとした動作の祖父を少しせかすように聞いてしまった。
若かりし頃の屈強な祖父の隣にいるのがおそらく祖母であろうことはすぐにわかる。
聞いたのは、その前列で母の隣に座っている、当時の母よりも少し年上に見える少女だ。
胸には母とよく似た素敵なブローチを付けている。
「これはね、、妻の、つまり君のおばあちゃんの姪にあたる子だ。」
祖父の工場を手伝いに来ていたその女の子は、仕事の傍で、自身の先祖が残したという、
不思議な遺産の植物のカケラを使い、木箱に装飾を施していたそうだ。
ブローチも、その装飾の中の一つで、母はその子が作る物が大好きだったという。
戦況が悪化する中、姪っ子家族とは離れ離れとなり、以降会うことは叶わなかったのだ。
陽の光を遮るように木々が生い茂る道に踏み入ると、雨上がりの湿った砂利や、
草のこすれる乾いた音が、自身の頭に流れるピアノ曲と協奏し、
まるでそこが、不思議な世界への入り口であるかのように思えてきた。
母の記憶が戻ることを期待した祖父が終戦後に何度か訪れたという山中の古い工場跡に、
大人になった私は今、立っている。
当時、母とあの少女が働いていた作業場からファインダーを覗き、母の記憶を辿るように
シャッターを切っていると、壁に貼り残された1枚の古い写真が目に飛び込んできた。
それはいつか見た、かしこまった集合写真の続きにも見える、とびきりの笑顔で映った
二人の少女の写真だった。胸にははっきりとあのブローチが見える。
写真を剥がし、裏を返すと、幼い字でメッセージが添えてある。
『またきっと会おうね。』
決して豊かではなかったはずの時代に残されたその写真からは、
最高に幸せな瞬間を感じ取ることができる。埃を払って写真を元に戻し、
カメラを向けると、一瞬ファインダーに母の笑顔を感じ取り、
「ありがとう」という明るく優しい声が頭の中に響き渡ったのだ。
・・・・・・・
・・・・・・・・・・
「おばあちゃん、、おばあちゃん!!」
気持ちよく揺れ動かされて、一瞬で現実へ引き戻された。
洒落た花屋を開業したわたしの孫から、たまに店番を頼まれるのだが、
あまりにも心地の良い空間と音楽に包まれて、昔を思い出しながら、つい
つい深い眠りについてしまう。
わたしの昔話を小さな頃から聞かされて育った孫は、様々な空想を巡らせ
て、面白いブローチを作っている。
「森のオクリモノ」という作品名で。
ー不思議の家系の物語ーAnother story
「森のオクリモノ」より
他の展示会でよく目にしていた花屋西別府商店に装飾を全面的に依頼した。
そして記念すべき1回目の式典では、西別府久幸の生花のコサージュを
予約販売という形で受注することにしたのです。
それが始まりで、以来、式典のたびにコサージュから変化を遂げ、
植物を使用したブローチの販売を期間限定で重ねてきた。
昨年の秋、初めて彼の個展をannabelleで行った際に、
3年間続けてきた式典のブローチを西別府久幸の作品として
販売し始めることとなった。作品名は、「森のオクリモノ」。
そうなると、彼が展示をする様々な土地で彼らの作品としてブローチが
販売されることになる。なんだかワクワクする。
ご存知の方も多いかもしれませんが、彼らのオリジナル作品には
それぞれに物語が添えてある。それが、「不思議の家系の物語」だ。
今回、「森のオクリモノ」が彼らのオリジナル作品になるにあたり、
私が、作品に添える物語を書かせていただきました。
物語とともに、たくさんの方々の元へ届けられるのは嬉しい限りです。
式典のご予定のない方にも、普段使いのブローチとして
ぜひ付けていただきたい作品です。
日本人の営みは春の桜から始まりますが、
この式典は、その準備のための催しです。
良いイメージを持って始まりを迎えるために、
これからも続けていきたいと思います。
今回は、このような状況下でたくさんのご来店を
いただきまして、ありがとうございました。
皆様の式典が素晴らしいものになりますことを願います。